まずは、日本における眼鏡の歴史をひも解いていきましょう。
日本に初めて眼鏡を伝えたのは、キリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルだと言われています。1551年に、大内義隆に面会した際に贈ったのが最初だそうです。
実は、大内氏に贈られる予定の物ではなく、本当は天皇に布教活動の許可をお願いする際の献上品として用意されたものだったという話もあります。
また、一説には京都のあるお寺に、室町幕府12代将軍・足利義晴が所持していたという古眼鏡が現存していて、この眼鏡こそが、日本最古の眼鏡ともいわれています。
日本で最初に眼鏡が作られたのは江戸時代で、本格的に作るようになったのは明治以降になります。政府の勅命を受けた朝倉松五郎がヨーロッパで眼鏡作りを勉強した後、大阪からメガネ職人を集め、福井で増永眼鏡を設立しました。
また“鼻あて”を発明したのは、低い日本人といわれています。
続いて、眼鏡に関係する記念碑が建てられている場所をご紹介。
東京都・上野恩賜公園内の不忍池前にあるのは「めがねの碑」。眼鏡の恩恵と業界先覚者たちの功績を顕彰して建てられたものです。毎年4月1日ごろには眼鏡供養祭が行われています。
ちなみに、碑にかたどられているのは徳川家康が愛用していた眼鏡。当時は、まだ耳にかける眼鏡はなく、眼鏡は手で持って見る道具でした。家康が愛用していた眼鏡は、現在、静岡県の久能山東照宮に保管されているそうです。
レンズの始祖と言われる田島太次郎が、大正時代に日本で初めてレンズの生産を始めたのが生野田島町。大正時代はこの田島村が日本一のレンズ生産地であり、近代的なメガネ生産工場が本格稼働していました。毎年11月3日に眼鏡祭が行われています。
めがね橋といえば長崎!と、誰もが思うところですが、実は日本全国には長崎以外にもめがね橋があったのです。
まずは、日本一有名な「めがね橋」から紹介しましょう。
1960年、国の重要文化財にも指定された日本最古の石橋。中国僧の指導により1634年に建てられたこの橋は、水害などの被害に何度も見舞われましたが、その都度修復され今でも変わらない姿を保っています。寺町通側にはハート型の石が埋まっているとのことで、人気のスポットにもなっています。
宮沢賢治ゆかりの地、遠野にある宮守川橋梁、通称めがね橋。この橋は、近代土木遺産に指定されており、大正4年にJR釜石線が開通したときに作られたそうです。「銀河鉄道の夜」のモチーフとなったといわれる橋でもあります。恋人の聖地としても認定され、美しくライトアップされる夏と冬はカップルでにぎわいます。
山形県の天童寺に建立されたものを、保存の目的で愛知県の明治村に移設された登録有形文化財に指定の橋。建設当時は木橋でしたが、国道の交通量が多くなったために石橋に架け替えたそうです。石材には天童附近に産する山寺石が使われています。
JR日田彦山線の筑前岩屋駅から大行司駅間に架かる3つの「めがね橋」のひとつ。1943年に完成した多連アーチ橋で、近代土木遺産にも選ばれています。テレビ番組で「日本の美しい鉄道橋」に選ばれたり、クリスマスシーズンにはライトアップが施されるなど、 山里を駆け抜ける列車とめがね橋として人気のスポットです。
東峰村には、もうひとつ「めがね橋」があります。宝珠山橋梁は、5連もアーチがあるめがね橋の中でも長い橋です。こちらも毎年12月にライトアップイベントが行われています。闇夜に浮かんだ橋を列車が通過するシーンはとても幻想的です。
メガネフレームの製造が全国シェアの95%を占めるという福井県鯖江市。100年以上の歴史を持つメガネの町の駅前には、巨大なメガネのモニュメントや「めがねミュージアム」や体験工房があります。
上空から見下ろしてもメガネの形をしているという、メガネづくしのミュージアム。県内産のみのフレームを集めた展示や、100年前の生産風景も展示されています。「福井県めがね大使」の大村昆さんのメガネコレクションのコーナーも。
自分のオリジナルメガネを作ることができる工房です。300種の中から生地を選び、フレームの形を決定したら、糸ノコギリで切りだします。熟練した職人さんの指導のもと、やすりで形を整えなめらかにし、耳にかけるウデ部分を作り完成させるところまで体験できます。ストラップなどの小物も作ることも可能で、制作体験を楽しむ親子もいるそうです。